2006年01月12日

■Atheist?

01月05日の記事【質問】について、皆さんからいくつかのコメントを寄せていただきました。以下はそれに関連した記事です。


【今から5年前(January 14, 2001)のニューヨークタイムズマガジンからの抜粋】

Every year, surveyors like Gallup and the National Opinion Research Center ask Americans whether they believe in God, and every year the same overwhelming majority, anywhere from 92 to 97 percent, say yes.

Devils and angels alike, it seems, are in the details. In one survey, 80 percent profess belief in life after death. True to the spirit of American optimism, an even greater percentage -- 86 percent -- say they believe in heaven, while a slightly lower number, 76 percent, subscribe to a belief in hell. When asked how often they attend church, at least 60 percent of respondents say once a month or more, and have said as much for the past 40 years. Three-quarters of all Americans proclaim a belief in religious miracles, and the same number concur with the statement that God "concerns himself with every human being personally."

These statistics contrast starkly with those from many other nations. According to the International Social Survey Program, a comparative study of beliefs and practices in 31 nations, while a mere 3.2 percent of Americans will agree flatly that they "don't believe in God," 17.2 percent of the Dutch concur with that statement, as do 19.1 of those in France, 16.8 percent of Swedes, 20.3 percent of people in the Czech Republic, 19.7 percent of Russians, 10.6 percent of Japanese and 9.2 percent of Canadians.

Other countries are also noticeably more skeptical about miracles, or their personal prospects post-mortem. Anywhere from 40 to 70 percent of people in France, Sweden, Denmark, Austria, Great Britain, the Netherlands, Japan and the Czech Republic say, sorry, there probably is no life after death, there is no heaven, there is no hell, there are no Lazaruses.

で、要約です。(間違ってたら遠慮なく突っ込んでください)
・アメリカ人の……
  92〜97%は神を信じている。
  80%は来世を信じている。
  86%は天国の存在を、76%は地獄の存在を信じている。
  少なくとも60%は月に1度か、それ以上は教会に行く。
  4分の3は宗教的奇跡を確信し、
 『神がすべての人間に対して個人的に関与している』という意見に同意する。

・では『神を信じていない人』の割り合いは?(その他の国も含めて)
  アメリカでは3.2%であるのに対し……
  オランダでは17.2%
  フランスでは19.1%
  スウェーデンでは16.8%
  チェコでは20.3%
  ロシアでは19.7%
  日本では10.6%
  カナダでは9.2%

・フランス,スウェーデン,デンマーク,オーストリア,イギリス,オランダ,日本,チェコでは、40%〜70%の人々が『来世、もしくは天国や地獄は存在しない』と思っている。


【追記1】
みなさんはこの数字を見てどう思われましたか? 多いと思いましたか? それとも少ないと?
(韓国の統計については、残念ながら見つけることができませんでした。個人的に興味があるので、vashneさん、補足していただけると嬉しいです)

【追記2】
ぼくは(前回の記事にも書いたとおり)西洋的な意味での“神”の存在は信じていません。霊魂も、輪廻転生も……。ただし、万物を支配する『法則,あるいは摂理』という意味でならば『神の存在を信じている』と言えなくもないです。また霊魂にしても『自我というものを表わすソフトウェア的な概念だ』とするならば、その見方についてはむしろ肯定的でさえあったりします。むろんこれはあくまでも個人的な意見であって、あらゆる信仰を否定するものではありません。ぼくの考えそのものも、ある種の信仰みたいなものですから。

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この記事へのコメント

1. Posted by kazuki    2006年01月12日 20:54

現状の感覚では、多いと感じました。
ですが年をとるにつれ見方が変わるかもしれませんね。

また、霊魂が『自我というものを表わすソフトウェア的な概念だ』
という意見は、個人的に好きです。
E17のあのシーンを思い出しますねー。
2. Posted by neettest    2006年01月12日 23:07
日本人は10.6%ですか…。
(ということは、残りの89.4%の人は
信じてる、ないし無回答、あるいはわからない
でしょうか)
かなり少ないと感じました。


神の存在は私も信じてはいませんが、
打越氏の言うとおり「自我を表すソフトウェア的な概念」としては
ありだと思います。
だた、宗教(神の存在を信じている)によって
それが、自己啓発になったり、他人に優しくできたり
したらそれはそれでいいことかな。と思ったり…。
もちろん、逆の場合もあるわけですけど…。

3. Posted by 凡人な人    2006年01月13日 18:54
アメリカの合理主義と神への信仰が結びつかないようにも思えるのですが、それは単に勉強不足のせいだと思います。
詳しくは知りませんが、アメリカにおけるキリスト教(プロテスタント?)はとても合理的な宗教なのでしょう。

それにしてもこれが真実なら、アメリカでは宗教的なプロパガンダ次第で戦争を起こせます。
盲目なのは恐ろしいことです。

なんか脱線してますが、僕は「神を信じますか?」という問いには一般的な日本人の例に漏れず苦手です。
「信じたいですね」と少し昔ののミスチルっぽく流すように受け答えるしかないのです。
4. Posted by Tod    2006年01月16日 00:37
確かに、神を信じるということが多くの人間にとって合理的なのでしょうね。
神の信仰が、現在の世界にこれだけ蔓延しているという事実がそれを示唆して
いると思えます。
人間は意識せずとも、基本的には自分にとってより良いほうを選択するでしょうから
各々が信仰を持つことは、それが自分にとって最良の状態だからではないでしょうか。
また、神を否定するのも同じなのかもしれません。
最終的には、自分がよければそれでいいということに集約するのでしょうから、
その思想を他人に強いるのは見当違いな気もします。
幸多かれと言う神が、排他的に他神の信仰を阻み、コンフリクトを生ずるのであれば
それはただの狂ったシステムだと感じます。

それましたが、私は一応10.6%内の日本人なのだなと納得しました。
ちょっと少ないような気も・・・。
しかし、いると証明されて欲しい願望もあるのですけどね。
5. Posted by Hagane    2006年01月18日 06:30
>>kazukiさん
気に入っていただけたみたいで嬉しいです。そうです、あのシーンで彼女に語らせたセリフが、そのままぼくの考えてることだったりします。自己というものが情報の集合体であるという考え方は、今後も変わらないと思います。

>>neettestさん
>宗教(神の存在を信じている)によって
>それが、自己啓発になったり、他人に優しくできたり
そうですね。そういう意味では宗教も大事だと思います。
逆に神を信じていない人が50%を超えちゃったら、それはそれで怖いことのような気もします。唯物論は、使い方を誤まれば、刹那主義的な怠惰や傲慢さにつながりかねないですからね。
6. Posted by Hagane    2006年01月18日 06:30
>>凡人な人さん
こちらもおっしゃるとおりだと思います。盲目的な信仰ほど危険なものはないでしょう。引用先の記事も、そのことに対して警鐘を鳴らす意味も込められていたようです。911の9ヶ月前に書かれた記事なんですけどね。同時多発テロ〜イラク侵攻までの道のりは、ある程度予測できた事態だったのかもしれません。

補足:neettestさんに対するレスと、凡人な人さんに対するレスは、一見矛盾しているように思われるかもしれませんが、さにあらず。要はバランスの問題です。その意味では、Atheistの割り合いが10.6%というのは、社会的に健全な状態を示しているのかもしれません。
7. Posted by Hagane    2006年01月18日 06:31
>>Todさん
たぶん(推測です。間違ってたらごめんなさい)Todさんのお考えになっていることと、ぼくの考えていることはけっこう近いと思います。
アメリカ人は『合理的だから神を信じている』のではなく、Todさんが指摘されたように『“それが自分にとって最良の状態だから”神を信じることを合理的と見なしている』のだと思います。つまり因果の向きが逆ってことです、本当は。
もちろん『“神を否定するのも同じ”』ことでしょう。これもTodさんがおっしゃっていますね。
8. Posted by Hagane    2006年01月18日 06:33
>>追記(自己レス)
ぼくは(※数学と、数学によって証明される物理的な事柄を除けば)論理というものを信じていません。ほとんどすべての論理は詭弁だとさえ思っています。どれだけ論理的に書かれた文章でも、それが『文章』である限りは、必ず書き手の意図が介在しています。たとえ天才と称されるような哲学者が書いたものであったとしても、です。
ぼくらは言語を用いてしか思考することができません。ところで言語というものは常に恣意的に用いられるものです。ゆえに未来永劫、ぼくらは【絶対的な意味での合理】にはたどりつけない……というのが、ぼくの考え方です。簡単に言ってしまうと。
9. Posted by Hagane    2006年01月18日 06:33
余談ですが、そんなわけで、ぼくは女の子の語る言葉が大好きです。およそ論理とはかけ離れた感覚的言語のほうが、真理というものに対して誠実だったりもするからです。
宗教の信者さんも“論理教”の信者さんも、ぼくの中では同義です。いずれにせよ、ファナティックな方は苦手だったりします。

注1:もちろん女の子のすべてが感覚的であるとは限りません。論理的思考を得意とする方もそれなりにいるようです。

注2:だからといって「男の子の言葉を聞くのが嫌いだ」とか言っているわけではないので、誤解しないでください。男性的な言葉は、自分の思考を整理する上でたいへん役に立っています。女性的な言葉はそうではなく、驚きやインスピレーションを与えてくれるという意味で好きなのです。性別を問わず、今後とも皆さんの書き込みをお待ちしております。
10. Posted by 猫好き    2006年01月21日 23:46
はじめまして。フラフラ迷い込んだら、楽しそうなお話をしていたので、つつい。。
10.6%ですか〜〜。どうなんでしょう??他国でも同じ質問で同じ統計下に置くのは少し乱暴かもしれませんね。
僕は数学で展開される論理ですらあまり信じていません。定義すら恣意的に思えたりするので……。なのでこの質問を受けても相手の期待に沿えるよう答えられる自信がないかもです。

そんな事よりも気になったのは女の子の話です。
確かに女の子の語る言葉は往々にトンでいると思います。僕も大好きです。アノ感覚は最高だと思うし、分けて欲しいぐらいです。
でも、こうやってウダウダ悩めるのは男の子の特権かも知れないので何とも言えないかなぁ……。。
11. Posted by lee    2006年01月23日 07:09
はじめまして。leeと申します。
韓国の統計ですか?
2004年のものですけど。
信じる宗教がある(神の存在を信じる)という答えは53.5%でした。
韓国は佛教を信じる人も多いなので来世の存在もほどんどは受け入れます(70%以上かな?)
韓国にはこんな言葉があります。
"夜に高い場所から見ると、ソウルは赤い十字加の墓のように見える"
けど、"キリスト教信者中34.1%は経典を見ない"という統計もあります。
いったいどっちでしょう?
私は韓国人ですけど、よく分からないです。
12. Posted by Hagane    2006年01月26日 09:44
>>猫好きさん
はじめまして。書き込みありがとうございます。
職業柄、女の子と話す機会が少なくて困っています。というか、ただの女好きという噂もあります。(^-^;

>>leeさん
はじめまして。興味深いデータ、ありがとうございます。
70%以上の人が来世の存在を信じているということは、日本よりも信心深い方が多いということでしょうか。
韓国という国には(※韓流ブームの遥か以前から)興味を持っていました。できれば1度行ってみたいと思っています。(飛行機の乗り換えで、ソウルの空港だけには行ったことがあるのですが)
今後ともよろしくお願い申し上げます。
13. Posted by もろは    2006年02月06日 15:35
アメリカの合理主義と神への信仰については下記の文章が多少参考になると思います

http://f48.aaa.livedoor.jp/~eatme/cribsheets/2-70308-session18.html

元は1996年の書籍のようです

話題は変わりますが、言葉は論理的でない代わりにひどく強力ですね
相手に通じさえすれば、定義の難しい抽象的な議論やメタ議論も簡単に出来ますし
14. Posted by もろは    2006年02月06日 16:07
>自己というものが情報の集合体
最近の物理、とくに量子力学では、物質も情報の集合体と捉える事が多いようです
ブラックホールに落ち込んだ物質の情報が何処に消えたかが問題になるくらいですので

ってR11の制作者の方に書いても釈迦に説法ですね…
15. Posted by Hagane    2006年02月10日 10:01
>>もろはさん
 リンク先の文章、おもしろかったです。「神は自ら助くる者を助く」って、正確にはそういう文脈で使うのか〜、なんて妙に納得してみたり。ご紹介、感謝いたします。

>>最近の物理、とくに量子力学では、物質も情報の集合体と捉える事が多いようです
 世界のすべてが数値によって記述できるとするならば、そこから汲み取られる『意味』って、とても大切ですよね。たとえばパソコン上で表示される【青】という文字は、シフトJISでは『 90 C2 』……2進数に変換すると『 10010000 11000010 』となりますが、しかしこの『 10010000 11000010 』には特に意味はありません。単なる1と0の羅列に過ぎないものです。これをパソコンの中の人が、あれやこれやと小難しい計算をして、【青】という文字がディスプレイに表示される。ユーザーにとって「意味のある形」に変換されるわけです。
16. Posted by Hagane    2006年02月10日 10:01
 さて、ぼくらが日常的に行っていることも、実はこれとまったく同じなんですよね。世界からもたらされる情報(刺激)を、頭の中で、自分にとって理解可能なものへと変換し、再現している。ですから――世界の本質――物自体――数字の羅列――そのものが重要なのではなく、そこから汲み取られる『意味』のほうがよっぽど大事なのではないかと、ぼくなんかは思ってしまったりするのです。
 ぼくらは世界の本質(情報ソース)を改竄することはできません。しかし『意味』ならば自在に書き換えることができます。『意味』を変えれば、世界のありようが変化するのも必然であり……。なんてことを、ぼんやりと考えている今日この頃です。
 余談ですが、ぼくの盟友でもあり、悪友でもある中澤工氏の手がけた作品(渾身の力作!!)【I/O】に於いても、これと似たようなことが語られています。興味がおありでしたら是非→http://regista.co.jp/io/
17. Posted by Hagane    2006年02月10日 10:02
 さらに余談ですが、ぼくの予想では、クオリアなるものも、『意味』を与えられなければ文字通り「意味をなさないのではないか」と思っています。【青】の【青さ】という感触そのものを得たところで、【青】に【青さ】という『意味』が与えられなければ、【青】は何ら、ぼくらの生活にとって影響を与えないでしょう。
 あるいは喩えとしては【痛み】のほうがわかりやすいかもしれません。【痛み】のクオリアを得たところで、そこに【痛み】という意味が与えられなければ、それは『漠然とした不快感』でしかないはずです。
 世界を経験するためには、どうしても『意味』が必要です。『意味』がなければ世界を「経験している」とは言えないでしょうし、世界を経験していないのであれば、世界そのものは無いものと見なしてもいいような気がします……って自分でも何を言っているのかわからなくなってきたので、今日のところはこのぐらいでご勘弁を...(^-^;
18. Posted by 凡人のひそやかな反論    2006年02月13日 22:28
もろはさんの資料から分かったこと
・アメリカ人を問い詰めると、彼らは神より抗生物質を選んだ。
・抗生物質を選ぶことはテクノロジー信仰に繋がる。

神を信じるか否かの比率だけでは、彼らの信仰の度合いまで分からなかった。
だが資料から、アメリカ人のキリストに対する信仰は表面的であることが証明された。
それはあくまで合理的に解釈できる範疇での信仰に過ぎなかった。
(ひたすら祈ることは合理的でないからできなかった。)

結論
一般的なアメリカ人のキリスト教信仰は合理的な範疇に留まる。
(実態はテクノロジー信奉者が多い。)
よって、アメリカにおけるキリスト教は合理的だった。 
                     終了 ヘ(^ー^ヘ)ョィョィ(ノ^ー^)ノョィョィ
19. Posted by k.s.m.2    2006年04月13日 19:53
お題1:
 神を信じる、という考え方の基盤が違う国同士で比較が可能か、という疑問から…↓

「【神というものが(人の姿のコピー元といった存在でなく)超越的存在であり、かつ一個の自己を持つ存在である】と仮定しない場合に、(一つの神という対象に対する)信仰ということが可能なのか」

「自己に対しての神の介入が、(正邪といった)意味を持たない場合に、【神】と【偶然】の間に違いを設けられるのか」

「人の集合体としての(社会的もしくは政治的)意思というものが【神】である可能性を考えることは可能か」(アメリカの【信仰】はこの側面が結構顕著に現れていると思います)

「歴史的な由来を排除して【キリスト教】といった名前で【神】を括れるのか…換言すれば、【信仰】となるには、どこまで教義の浸透の徹底が(閾値として)必要なのか」(聖母マリア信仰も、布教した地域の信仰を吸収した結果だとか言いますし)
20. Posted by k.s.m.2    2006年04月13日 19:54
お題2:
 数学と論理(の絶対性)について。(の疑問)

 数学的証明において、暗号理論や確率論、素粒子系の宇宙物理は、その【モデルが事象の記述を目的としており、その論理の敷衍を目指せる形に演算子を設定する】という由来から見て、多分に恣意的なのではないかと思います。少なくとも(普通に使われる意味での)言語と同等には。
 一方、実験系での数学モデルを見ても、ほとんどは【事象を再現できる故に信頼されるこじ付け】でしょうし、情報理論とて【それを計算する素子(※)の物理的性質】からは逃れられないのではないでしょうか。

 (続く)
21. Posted by k.s.m.2    2006年04月13日 19:55
(【お題2】の続きです)

 なので、数学の絶対性は、【演算子や仮定条件を記述する記号の意味が絶対的であること】にのみ起因するように思います。

 とすれば、逆に【仮定と論理を記述するために使う、単語の確実性(名詞を、表す事象の定義において絶対に例外を認めないように使う。とか、接続詞が含む意味(順接・逆接など)を固定化する)を堅牢にする】ことで、一つの議論における絶対性は、通常の口頭言語でも確保できないでしょうか?
22. Posted by k.s.m.2    2006年04月13日 19:56
お題3:
 (※)の理由から、「情報ソース」('06.2.10)というものが存在する、という考えを(私は)否定してかかりたい所だったりします(恐れ多いことを)。
 友人の言で「信じたくなければ信じなければいいじゃない、信じなくたって現実は現実だけどね」というのを聞いたことがありますが、【意味】を捉えない、ということは現実には不可能だと思います(【痛み】と感じても【漠然とした不快感】と感じても、【体のその部分が破壊されている故に脳に伝わった信号】というファクター(つまり、それが示唆する【体への危険(という事実)】)は変わらないので)。

 (続く)
23. Posted by k.s.m.2    2006年04月13日 19:56
【自己がソフトウェア】という考え方も、結局の所は【個人の脳というハードウェア】の枠を外した状態での【ソースコード】を見つけない限り、【神経のパターンという実体が見せる表層の変化】という【事実】でしかない、ということになり…【ソフトウェア】の存在、つまり【魂】を否定しているのに近い考え方をしています(個人の独自性を否定しているのではなく、それが体に宿って初めて存在しうる、という意味で、【情報】という概念を否定している)。

 …えーと、以上3点、どうなのでしょう?「Memories Off」(PS版とDCでのPureに限る)と「Never7」(続編二つは除外)と「Close to」(多分に遊那限定で)の自称ファンより。
24. Posted by Hagane    2006年04月17日 21:15
>>k.s.m.2さん
 書き込み、ありがとうございます。以下、順番に答えさせていただきたく存じます。もちろん、ぼくの答えが必ずしも正しいとは限りません。というか、むしろ誤まっていることのほうが多いでしょう...(^-^; 一生考え続けても解けないぐらいの難しい問題ばかりですからね。それでもどうにか頑張って書いてみました。あんまり自信はありませんが、何かの参考にしていただければ幸いです。

 まずは前置きから……。
 ぼくらが用いている「神」という言葉には、2種類の意味があると思います。
25. Posted by Hagane    2006年04月17日 21:15
 ひとつは、一般的に言われるところの「神様としての神」です。
 ある方向へと導くもの、行動を律するもの、教えを説くもの、価値観を付与するもの。ときに人々を叱りつけ、罰し、あるいはご褒美を授けてくれる存在(またはそうされることが予想される存在)のことです。
 最もイメージしやすいのは、一神教においてよく見られる「元型的な父親像」だと思うのですが、そういうと誤解されてしまうかもしれませんね。この「神」の中には、神話に登場する神々も、アニミズムにおける神々も、さらには信仰の対象となる預言者まで、全部含まれるのですから。もちろん極めて乱暴なくくりだということはわかっています。ただ、ぼくがここで言いたいのは、その種の細かい分類についてではないのです。対をなす「もうひとつの神」について語れば、ご理解いただけるかと存じます。
26. Posted by Hagane    2006年04月17日 21:16
 その「もうひとつの神」とは……?
「概念的な範疇の外側に存在する(と仮定される)何か」のことです。なんか抽象的な言い方になってしまって申し訳ないのですが……。人智を超越した存在なので、ぼくらはそれについて語り得る言葉を持っていません。そもそも「存在」と言えるのかどうかすら怪しい。“何か”としか言いようがない“何か”のことです。
 ただ感じることならできるような気がします。たとえばエントロピーの増大則や、波動関数の収束や、カオスの縁や、DNAの螺旋構造や、その他もろもろの現象(?)の中に、それを見出すことができるでしょう。
27. Posted by Hagane    2006年04月17日 21:17
 ……なんてことを言うと、ラディカルな方からはお叱りを頂戴するかもしれません。
「そんなものはただの幻想だ!」
 でも、幻想でかまわないのです。少なくともぼくにとっては、この幻想が最後の拠り所であり、かろうじてこれを繋ぎとめていられるがゆえに、ぼくは今生きている...といっても過言ではありません。この幻想が崩壊したら、ぼくは発狂するか、廃人になるか、おそらく死ぬでしょう。(^-^; 多かれ少なかれ、人は誰しも何らかの幻想を抱かずには生きていけないものです。ぼくはそう思っています。
28. Posted by Hagane    2006年04月17日 21:17
 話がそれました。戻ります。ぼくは「神」には2種類あると言いました。
 ひとつは【導く神】であり、もうひとつは【導いてはくれないかもしれない神】です。後者のほうはまだるっこしいので、ここでは便宜的に【不可知神】と呼ぶことにしましょう。

 さて、前置きが長くなってしまいました。ここいらへんで本題に入らないと神様でさえ眠ってしまいそうなので...いきます!
29. Posted by Hagane    2006年04月17日 21:17
>>お題1−a:
>>【神というものが(人の姿のコピー元といった存在でなく)超越的存在であり、かつ一個の自己を持つ存在である】と仮定しない場合に、(一つの神という対象に対する)信仰ということが可能なのか。

『一つの神という対象に対する』という条件が付いているところが難しいですよね。
“一つ”の定義にもよるのではないでしょうか。【不可知神】を信仰することは可能だと思いますが、それを“一つ”と数えてよいものかどうか、あるいは数えられるものなのか、そのへんはちょっと微妙です。
30. Posted by Hagane    2006年04月17日 21:18
>>お題1−b:
>>自己に対しての神の介入が、(正邪といった)意味を持たない場合に、【神】と【偶然】の間に違いを設けられるのか。

 まず【導く神】を信じている場合には「神の介入が意味を持たない」という条件そのものがあり得ないと思います。すべては神の御意志です。

【不可知神】を信仰している場合には、たとえば、複雑系でいうところのカオス的な振る舞いの中からも、どうにかして意味を見出そうとします。あるいは「意味があるのでは?」とほのかな期待を抱いています。「すべての現象の中に神が宿っている」――これは【導く神】を信じているのと、ほとんど変わらないような気もします。
31. Posted by Hagane    2006年04月17日 21:18
 最後に完全な意味での無神論者の場合……。この人にとって「神」は、現実的にも観念的にも存在しないことになります。すると、比較対象自体を失うことになるため、偶然との差異を見分けるどころか、そもそも「偶然」という概念そのものが消滅することになるでしょう。高さの無い世界に高さは無く、色の無い世界に色は無い。これと同じことだと思いますが、いかがでしょう。
32. Posted by Hagane    2006年04月17日 21:19
>>お題1−c:
>>人の集合体としての(社会的もしくは政治的)意思というものが【神】である可能性を考えることは可能か。

【導く神】は、まさにそのような動機のもとに発生したものだと考えています。正確には「無意識的な動機のもとに」です。
 また【不可知神】の場合も(若干意味合いは異なりますが)同様です。ぼくらは広い意味で言うところの「社会的」もしくは「政治的」意思から逃れることができません。それはぼくらが「社会的な」もしくは「政治的な」生活を営む動物だからです。
33. Posted by Hagane    2006年04月17日 21:19
 このことはつまり、ぼくらが権力構造にガッチリと組み込まれた存在であることを示しています。ここでまた補足しておかなければなりません。ここでいう「権力」とは、国家権力や、資本家による権力や、そういった類のことを言っているのではありません。人間の集合体が生み出す無意識的な(動物的な,自然発生的な)ベクトルのことです。
 なので、広義的には、いずれの神にも、社会的もしくは政治的意思というものが(主に識閾下のレベルで)介在していると、ぼくは思っています。
34. Posted by Hagane    2006年04月17日 21:20
>>お題1−d:
>>歴史的な由来を排除して【キリスト教】といった名前で【神】を括れるのか。

 例えば日曜学校に通っている8才の少女は、聖書物語については知っていても、その歴史的な背景までは知らないと思います。それでも彼女にとって、キリストが「神の子」であることに違いはないでしょう。

>>お題1−e:
>>【信仰】となるには、どこまで教義の浸透の徹底が(閾値として)必要なのか。

 個人的に、教義の浸透の度合いは、あまり関係がないように思うのですが……。裏山に生えているヒノキの巨木を「御神木」といって崇めている人もいるでしょうし……。他の村人に理解されなくとも、その人にとって、そのヒノキの巨木が神様以外の何ものでもないならば、その想いはやはり【信仰】と呼べるのではないでしょうか。
35. Posted by Hagane    2006年04月17日 21:20
>>お題2:
>>数学の絶対性は【演算子や仮定条件を記述する記号の意味が絶対的であること】にのみ起因するように思います。
>>とすれば、逆に【仮定と論理を記述するために使う、単語の確実性(〜中略〜)を堅牢にする】ことで、一つの議論における絶対性は、通常の口頭言語でも確保できないでしょうか?

「できる」と言いたいところですが、ごめんなさい、現実的には不可能だと思います。(´・ω・`;
 まず「単語の確実性を堅牢にすること」が、極めて困難だと思います。もしも仮に、ひとつひとつの「単語」について明確な定義付けが行えたとしても、その定義付けの際に用いられるものも「単語」だからです。
36. Posted by Hagane    2006年04月17日 21:21
 ぼくらのコミュニケーションは、漠然とした共通理解(幻想)のもとに成立しているものだと、ぼくは考えています。
 たとえば殺人事件――。凶器には容疑者Aの指紋が残っていた。Aには明確な動機がある。犯行時刻にAは現場にいた。さらに目撃者もたくさんいる。このような場合でさえ、Aが本当に本当の意味で【絶対的に犯人だ!】と断言することはできないのではないでしょうか。
 ぼくらは「これこれこういうときには、こいつが犯人だよね」という共通理解を持っているに過ぎず、それは絶対的な意味での【真実】とは言えないと思います。
37. Posted by Hagane    2006年04月17日 21:22
 ところで、論理学の問題には、こんなものがありますよね?
『ある川のほとりに、宣教師と食人族がそれぞれ3人ずついる。2人乗りの舟を使って対岸まで渡りたいのだが、いかなる状況であっても、食人族の数が宣教師の数を上まわると、宣教師は食い殺されてしまう。さて、どうすればよいか? ただし舟を動かすためには、最低でも1人の漕ぎ手が必要であるものとする』

 たぶんキャバクラの姉ちゃんならば、こう答えると思います。
「川を泳いで渡れば?」
 出題者はこう言います。
「川幅はとてつもなく広く、流れは急で、おまけに人食いワニが棲んでるんだ」
38. Posted by Hagane    2006年04月17日 21:22
「じゃあ、橋があるところまで歩く」
「その川に橋はないんだよ」
「だったら、源流までさかのぼる」
「今すぐ渡りたいんだ」
「今すぐって、どれぐらい?」
「1時間以内に」
「どうして?」
「川の向こうの村で、待っている人たちがいるから」
「じゃあ、その場にとどまったまま、動かないでいる」
「だから1時間以内にって――!」
「知ってるよ。でも、何時間経っても宣教師が村に現われなければ、村で待ってる人たちが心配して助けに来てくれるでしょう?」
39. Posted by Hagane    2006年04月17日 21:23
 ぼくらは現実的な問題に直面したとき、たいていは論理以外の方法で解決策を見出します。
 では論理とは何なのか、と問われれば、それは「条件に条件を重ねていった上で成立するゲームみたいなものだ」としか言いようがありません。k.s.m.2さんがおっしゃっているように、数学が数学的なルールの上でしか成立しないのと同じことです。

 そう「数学でさえも恣意的である」……確かにそのとおりだと、ぼくも思います。
 しかしながら、そうであればこそ、ぼくは論理というものを【真理としては】信じることができないのです。
40. Posted by Hagane    2006年04月17日 21:24
 たとえば、ぼくが今まで書いてきた文章だって、もしかしたら全部「嘘」かもしれませんよね? いや、もちろん本人的には、誠意を持って事実のみを書いているつもりですが……。それでも、書き手であるぼくの意図が、これらの文章の中に介在していることは、ほぼ間違いないでしょう。
 たいていの場合、文章というものは、まず先に結論のほうが頭の中にあって、その結論へと導くために、論理というツールをこねくりまわして書かれたりするものです。これはぼくだけに限ったことではなく、あらゆる論説、小説、2chから女子高生のメールに至るまで、ほとんどすべての文章について言えることだったりします。また、話し言葉も同様です。話し言葉のほうが、その特徴はより顕著に表われていると思います。
41. Posted by Hagane    2006年04月17日 21:24
 というわけで(繰り返しになりますが)ぼくは論理というものを【真理としては】信じることができないのです。
 けれど【幻想(約束事,共通理解,ルール)としてならば】信じることができます。というか、信じざるを得ないのです。
 このブログを読んでいただければおわかりになるように、ぼくは論理的思考に偏ったタイプの人間です。論理を用いてしか世界をデコードすることができません。(いや、正確には「デコードした気になっている」だけですが……)
 なので、どうか誤解しないでください、ぼくは論理を否定するつもりなど決してないのです。「論理が幻想であるということを知りつつも、それに頼らずには生きていけない」というのが、現在のぼくの偽らざる実状だったりするのです。
42. Posted by Hagane    2006年04月17日 21:25
>>お題3−a:
>>【意味】を捉えない、ということは現実には不可能だと思います。

 生まれたばかりの赤ん坊や、言語を持たない動物には【意味】という概念そのものが存在しないのではないでしょうか。
43. Posted by Hagane    2006年04月17日 21:25
>>お題3−b:
>>【自己がソフトウェア】という考え方も、結局の所は【個人の脳というハードウェア】の枠を外した状態での【ソースコード】を見つけない限り、【神経のパターンという実体が見せる表層の変化】という【事実】でしかない、ということになり…【ソフトウェア】の存在、つまり【魂】を否定しているのに近い考え方をしています(個人の独自性を否定しているのではなく、それが体に宿って初めて存在しうる、という意味で、【情報】という概念を否定している)

 おっしゃるとおりですが、ぼくが言いたかったのは、もうちょっと低いレベルでの話というか、実用的な位相での話というか、そんな感じのことでした。
44. Posted by Hagane    2006年04月17日 21:26
「絶対的な真理には未来永劫たどりつくことはできない」というのがぼくの考えなので、ソースコードが実在するかどうかは、特に問題ではないのです。つまり――「ソフトウェアや魂が【絶対的真理として】在る...かどうかは、ぼくらにはわからないけれど、ひとまず『今ここに、自分自身は存在し、思考している』というリアリティがあるならば、それを幻想としてでも受け入れたほうが、自分が生き延びたり、子孫を生き延びさせたり、することにとって、有効なのではないでしょうか」――ってことです。
45. Posted by Hagane    2006年04月17日 21:26
 世界という、ぼくらに刺激を与えてくれる情報の塊について、とりあえず、便宜的に、それを実在するものとして仮定したとき、データそのものに意味があるわけではないですよね? DVDに記録された0と1の羅列に意味がないのと同じように……。
 その0と1の羅列から意味を汲み取るのは、ぼくらの脳みそです。ぼくらの脳みそは、自分にとってわかりやすい形にそれらを変換し、経験させてくれます。逆にいうと、変換されるアルゴリズムさえ書き換えてしまえば、世界のありようそのものを変えることができる、とは言えないでしょうか。
 ぼくが「意味」について言いたかったのは、こういうことです。
46. Posted by Hagane    2006年04月17日 21:27
 さて、長くなってしまいましたがレスは以上です。予想以上に伸びた感じで嬉しい限りなのですが、ただ……もしかしたらぼくのほうからは、これ以上返答ができないかもしれません。(^-^; 投げっ放しにするのは性格上嫌なのですが、とは申しましても、他にもやらなければならないことがキツキツのイッパイイッパイに詰まっており……。本当に申し訳ないです。なにとぞご理解ください。m(_ _)m
47. Posted by k.s.m.2    2006年04月26日 11:27
 詳細なレス、有難うございます。
 色々納得しながら読ませて頂きました。

 各項目に、少量ずつコメントだけ、付けることに致します。

 不可知神:始めは、クトゥルー話に出てきそうな混沌の塊かと思っていまし
た(汗)。語意としては【必然(の精霊)】といった感覚で宜しいでしょう
か?
 多分、私もこうした必然を信じているタイプだと思いますが、そうしたもの
が存在するとしても経験則以上には表出してくれない程度に、世界は混沌(も
しくは未開)の様相を呈しているように思えます。

 (続く)
48. Posted by k.s.m.2    2006年04月26日 11:35
 政治的意図:倫理(明確化・極端な人為化をすれば法律)になりうる【広
義】の意図と、政策・統治・支配に属する【狭義】の意図(の手段)を分けて
考えたいところなので、まだ箱にはつつく隅がある気がします。楽しくはない
話題になりそうですが…。

 由来と教義:自分が信じること・他人に信じさせること・信じない他人でも
使える形をもたせること。ここの切り分けをどうするか…これについては悩み
が尽きないところです。

 言葉の論理性:しっかり得心しました。言葉が不確定だからといって、【真
実を彫刻する道具】として扱う行為を軽んじる行為を認める気になれない故の
抵抗をしてみたまで、なのかもしれません。

 3-a:痛い→逃げたい→暴れる、という反応を(生物において)自明とした上
で考えていたのですが…これ、どのレベルで【意味】をもつのでしょう?と疑
問の置き逃げです。
49. Posted by 凡人な人    2006年04月28日 03:57
人類全てが精神感応力者であればいいのになぁ。
アカシックレコードが読めたりとか!!(馬鹿)

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