2006年01月06日
■芥川龍之介
【河童:十一(哲学者マッグの書いた「阿呆の言葉」】
最も賢い生活は一時代の習慣を軽蔑しながら、しかもそのまた習慣を少しも破らないように暮らすことである。
最も賢い生活は一時代の習慣を軽蔑しながら、しかもそのまた習慣を少しも破らないように暮らすことである。
【河童:十四(生活教の聖書)】
我々の神は一日のうちにこの世界を造りました。のみならず雌の河童を造りました。すると雌の河童は退屈のあまり、雄の河童を求めました。我々の神はこの歎きを憐れみ、雌の河童の脳髄を取り、雄の河童を造りました。我々の神はこの二匹の河童に『食えよ、交合せよ、旺盛に生きよ』という祝福を与えました。
【或阿呆の一生:三十六(倦怠)】
彼はある大学生と芒原(すすきはら)の中を歩いていた。
「君たちはまだ生活欲を盛んに持っているだろうね?」
「ええ、――だってあなたでも………」
「ところが僕は持っていないんだよ。制作欲だけは持っているけれども」
それは彼の真情だった。彼は実際いつの間にか生活に興味を失っていた。
「制作欲もやっぱり生活欲でしょう」
彼は何とも答えなかった。芒原はいつか赤い穂の上にはっきりと噴火山を露(あらわ)し出した。彼はこの噴火山に何か羨望に近いものを感じた。しかしそれは彼自身にもなぜということはわからなかった。
【或阿呆の一生:三十七(越し人)】
風に舞ひたるすげ笠の
何かは道に落ちざらん
わが名はいかで惜しむべき
惜しむは君が名のみとよ。
【或阿呆の一生:五十(俘(とりこ))】
彼の友だちの一人は発狂した。彼はこの友だちにいつもある親しみを感じていた。それは彼にはこの友だちの孤独の、――軽快な仮面の下にある孤独の人一倍身にしみてわかるためだった。彼はこの友だちの発狂した後、二、三度この友だちを訪問した。
「君や僕は悪鬼につかれているんだね。世紀末の悪鬼というやつにねえ」
この友だちは声をひそめながら、こんなことを彼に話したりした。
(〜中略〜)彼は彼の迷信や彼の感傷主義と闘おうとした。しかしどういう闘いも肉体的に彼には不可能だった。「世紀末の悪鬼」は実際彼を虐(さいな)んでいるのに違いなかった。彼は神を力にした中世紀の人々に羨ましさを感じた。しかし神を信ずることは――神の愛を信ずることはとうてい彼にはできなかった。あのコクトオさえ信じた神を!
(※もしかしたら「なぜ突然芥川???」と疑問に思われた方もいらっしゃるかもしれません。理由は昨日の記事のコメント欄のほうに書かせていただきました。気になる方は、お手数ですが、そちらのほうをご参照ください)
